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『いだてん』18話あらすじと視聴率。二階堂トクヨが日本に持ち込んだ女子体育の歩みとは!?

いだてんネタバレ NHKドラマ
©DramasNote

ドラマ『いだてん』18話。日本初の駅伝マラソンを大成功に収めた金栗の快進撃は止まらず、まるで暴走列車のように走り続けました。そんななかでの妻スヤの懐妊、更には第一次世界大戦が集結を迎え、金栗四三は新たなチャレンジへと挑みます。

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18話「愛の夢」あらすじ

第一次世界大戦によりオリンピックが中止となり、日本初の駅伝マラソンが開催され、予想以上の盛り上がりで大成功を収めました。

金栗四三は、立て続けに各地のマラソン大会に出場し、日本中を駆け巡ります。妻スヤも懐妊し、喜び真っ盛りの金栗の元に、浅草の遊女・小梅と駆け落ちしたという美川(勝地 涼)と小梅がやってきます。

どうやら小梅の男に存在がバレて、逃げていると言います。金栗は、自分は走っててほとんど留守だから自由に部屋を使っていいと、美川を預かることに……。

その頃、東京女子高等師範學校では、イギリス留学から戻ってきた二階堂トクヨの授業が行われていました。

当時、女性の体育着は袴、革靴、たすき掛けが一般的でしたが、イギリスの名門キングスフィールド体操専門学校で学んだトクヨは、女性の体育着には7つの罪があると言うのです。

1.襟は十文字で締め付けられる

2.腰は袴で紐まみれ

3.あんどん包みのだらしない下半身

4.家事をやれば袖が水浸し

5.たすきを掛ければ猫背になる

6.腕を上げれば脇が丸見えになってしまう

7.帯は腹を締め付けるから深い呼吸が出来ない

「だから日本の女子は若くしてバタバタと死ぬんだ」と言います。

そこでトクヨは、なぜか足袋専門の播磨屋に女子30人分のチュニックを仕立てもらうことにしたのです。

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ドラマ『いだてん』18話のネタバレと解説

永井道明vs二階堂トクヨ

二階堂トクヨが取り入れた、チュニックを着て女子が躍る”メイポールダンス”を、永井道明は「扇情的で破廉恥な盆踊り」だと言います。

それに対しトクヨは、永井の”学校体操教授要目”に感銘を受け、スェーデン体操こそが体育の神髄だと信じていたが、それは誤りだと気づいたと反論しました。

3年間の留学を経て、永井の教えがいかに偏ったものであり、女子の特性を無視しているのもだと言います。

英国仕込みのメイポールダンスを盆踊りと呼びなんて古い!と一喝。女子の体育は女子の手で、子を産む母となる体を作るために、優雅なメイポールダンスで学ぶべきだと謳えたのです。

その言葉に何も言い返せない永井……。しかし更に、文部省の要請で2年半のアメリカ留学を経て戻ってきた可児助教授も、米国体育を持ち込み面倒な事態となります。

永井、トクヨ、可児。それぞれが体操に対する考え方の違いからモメ始めてしまいました。そんな中、嘉納治五郎は神宮外苑にスタジアムを作る計画を進行させていたのです。

美川にグチを言うスヤが可愛い!

熊本に帰っていたスヤは、臨月を控える前に再び東京に上京していました。来る日は四三に伝えてあったものの、待てど暮らせど四三は帰ってきません。

「金栗氏は戻ってこないと思うよ」という美川に、スヤの怒りが爆発します。

四三は、マラソンやるために自分と結婚したのか?マラソンを辞めたら子供はどうなるのか?スヤ自身、出産間近という事もあり、色々と不安に思っていたようです。

「美川に言ってもしょうがなかばってん!」と繰り返しながら、四三への怒りをすべて美川に吐き出したのです。

通常は「美川さん」と呼ぶスヤでしたが、このときばかりは「美川」と呼び捨て。美川もその勢いに圧倒されて一言も返せませんでした。

笑っているスヤが一番ですが、怒ったスヤも一生懸命でとても可愛らしい一面を見せてくれました。

結婚したことも、子供が生まれることも四三は誰にも話していなかったので、不安に思っていたのも無理ないかもしれません。

そんな時、美川が取り出したのは盗み見ていたという四三の日記。スヤは葛藤した挙句、日記の一部だけを読んでみました。

そこにはスヤへの感謝、生まれてくる子への想いが綴られていたのです。これによりスヤは安心して、熊本に帰っていきました。そして大正8年4月28日。スヤは元気な男の子を出産しました。

男児は、大正のと明治のをとって、正明と命名されました。

金栗四三の挑戦は続く!

金栗は、弟子の秋葉と下関から東京まで1200kmマラソンを、20日間で走破。結局、夏にも熊本に帰ることはありませんでした。

その頃、東京では道路の舗装が進んでおり、足袋では足が痛くて走り辛くなっていたのです。そこで金栗は播磨屋の黒坂に、足袋の底をゴムにしてほしいと頼みました。

ところが黒坂は、それはもはや足袋ではなく靴だ!その一線だけは超えられないと拒否。それでも金栗は、播磨屋の足袋以上のものはないと頭を下げたのです。

そして大正8年。パリ講和会議を経て、第一次世界大戦が終結を迎える一方で、金栗は日光から東京まで130kmの無謀なレースを思いつきました。

生徒たちは駅伝で、金栗は人間の持久力の限界に挑戦するため、自分は130kmをひとりぶっ通しで走り切るというのです。

さらに、嘉納治五郎の元に1920年夏に8年ぶりのオリンピック開催を知らせるクーベルタンからの手紙が届いていました。

日光~東京間を一人で走りぬいた金栗四三が遺した言葉

金栗は、日光から東京までの130kmをひとりで走りぬきました。彼は、これまで走った場所を地図に記しをつけていましたが、この日光~東京間は最後の道のりだったようです。

走り切ったあと、金栗はこのような言葉を残していたそうです。

もう、日本に走る道は無か。燃え尽きた」と。

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ドラマ『いだてん』18話を観た感想

今回18話は、おめでたい話や喜びの話が中心に描かれました。どんな状況でも、常に前向きに考える金栗からは、何事にもチャレンジする強い心を教えられます。

スヤも無事に男の子を出産し、これで池部家も安泰です。そんなスヤが金栗への不満を美川にぶちまけたシーンはとても可愛らしかったです。

ひとつの文句を言うごとに「美川に言ってもしょうがなかばってん」って言いながら、プンプン怒った顔は最高でした。

金栗の日記を見るか見ないかの葛藤……。意外にもあっさり見てしまいましたが。

そしていよいよ、次のオリンピックへの光が差しました。ここから翌年の開催となるようですが、金栗が夏に帰らなかったとあるので、オリンピックには1年もないくらいでしょうか。

金栗はオリンピックに向けてマラソンに注力するはずなので、しばらくまた熊本には戻らないのかも?子供の顔はいつ見るのかな?なんていうのもちょっぴり気になります。

『いだてん』全話エピソードはこちらから

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『いだてん』18話の視聴率

18話の視聴率は8.7%でした。(ビデオリサーチ調べ、関東地区)