オリンピック日本初参加の代表となった”いだてん”こと金栗四三と三島弥彦は、長旅を終えついにストックホルムに到着。
『いだてん』9話では、列車の中での話が中心となり、彼らがどのようにして過ごしていたのか、初めて外国を訪れた彼らは何を見たのかが描かれています。
『いだてん』9話あらすじ
明治45年5月16日。日本のマラソン選手として、17日間という長い時間をかけてストックホルムに向かった金栗四三と三島弥彦。そして、日本選手団監督として大森兵蔵と妻アニコが同行しました。
列車の中では、少しでも節約するために自炊をすることに。料理担当は、大森の妻アニコでしたが、彼女の作る味噌汁は出汁を取らず、お湯に味噌を具材を入れただけのなんとも不味いもの。
四三と弥彦の顔も思わず歪んでしまいます。しかし、大森兵蔵だけは笑顔で美味しい美味しいと連発。これもアニコの機嫌を損なわないための、彼なりの秘策のようでした。
ロシア・ウラジオストク駅で一旦下車し、四三と弥彦はロシアの街中を探索していると、ロシア兵数人に”パスポート”を見せるよう言われ、ロシア語が分からない2人は肝が縮みあがってしまいます。
列車を乗り換え、2等室の狭い客室に四三と弥彦と大森、もうひとりドイツ人が乗り込み、4人で寿司詰め状態に……。
こうして17日後、4人は無事にストックホルムの地を踏んだのです。
『いだてん』9話の解説
嘉納治五郎はなぜ同行しなかったのか?
嘉納治五郎も、四三と弥彦に同行する予定でしたが、なぜか駅で数人の男に止められていました。納得のいかなかった嘉納は、自分は許可を取っていると文化省へ抗議します。
という理由で、却下されてしまったようです。しかも、加納が許可を得た大臣は辞職しており、新しい大臣に変わってしまったというのも理由のひとつ。
外国ということや嘉納治五郎がいないことで、四三は大きな不安を抱えていました。
四三からみた諸外国の人とは?
長旅の間に、四三は諸外国の人相というものを観察していました。当時の外国人は、四三の目にどのように写ったのでしょうか。
ロシア人=粗大で大陸的
アメリカ人=快活で気持ちが浅い
ドイツ人=堂々として動じない
フランス人=老獪にて分からない
日本人=論外(大森兵蔵が、同席したドイツ人とノリノリで酒を酌み交わしている様子を見て、このように感じたようです。)
人には気の合う人とそうでない人がいる。西洋人の真似をしても日本人は日本人だから、日本の特徴を見せるべきであると考えていたようですね。
列車内は節約のため自炊?
列車内では、少しでも節約するために自炊をすることになりました。料理を作るのはアニコの役目ですが、日本食は苦手だったかも?
出汁のない味噌汁に、外国ということで主食はパン。狭い二等室で4人そろって朝食をとっていました。列車内にはレストランも完備されていましたが、値段もそれなりに高いもの。
ストックホルムに到着前の、最後の晩餐として四三と弥彦の2人だけで、ワインとちょっぴり豪華な食事を堪能していました。
春野スヤは池部スヤに
春野スヤは嫁ぎ、池部スヤに変わっていました。ただ気になるのは、夫が咳をしていたこと。大森兵蔵もそうでしたが、この時代では肺の病を患う人も多かったようです。
スヤは、四三を支える妻になるとあるので、今のスヤの夫も肺の病に侵され、亡くなる運命なのかもしれません。
そして後に、四三と一緒になり彼のオリンピック人生を支える……という感じでしょう。
大森兵蔵がストックホルムに同行した理由
大森兵蔵がオリンピック選手団の監督としてストックホルムに同行したのは、彼が肺の病を患いるという理由からでした。
4年後は厳しいというアニコに同調した嘉納治五郎が、大森兵蔵を監督として行かせ、彼一人では不安があると妻アニコを同行させたのです。
大森兵蔵の病気のことは、四三も弥彦も知らされておらず、さすがに列車の中で咳込んでばかりいたので、弥彦は何か変だと気づいた様子。
調べによると、大森兵蔵はオリンピックの帰国途中でカリフォルニア州パサデナで、肺結核の持病が悪化して亡くなったとのことです。
『いだてん』9話の感想
今回は、列車の中でのお話が中心で、日本人たるものという志の四三の観察力が面白かったです。
西洋人の真似をしても、日本人は日本人には変わりないって言う言葉が、今の時代に染み渡ります。
また、列車の中で自炊するとかアリだったのか?と驚きの光景だったり、弥彦の朝支度で30分も洗面所を占領するとか、今ではなかなか見られないものですね。
現代は数時間もあればついてしまう場所でも、昔は何一も何日もゆられてやっとたどり着く。それもまた楽しいのではないかなと思います。
今回は、ちょっとのんびりと時間旅行を楽しんだという気分です。